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北海道遠征記(Episode00-A・0日目~1日目未明)「帰りの切符を寮に忘れてバイク便往復」

7月16日から18日の三連休に、大学鉄研で同期・後輩だったOB総勢7人で北海道旅行へ行きました。参加者のうち自分以外の全員が、金曜夜遅くまで仕事に忙殺されて、そこからの土曜早朝出発となりました。その上、何人かは日曜夜には帰宅するという、振り返ってみると成し遂げられたのが不思議なくらいの超強行軍でした。

0日目:宿泊研修からの帰投

旅行参加者の中で最も暇人であった自分も、夕方まで社外(関東地方外のとある場所)で1泊2日の研修を受けていました。帰る途中で同期の友人たちと夕食を摂ったりしていたので、鶴見の寮に帰ってきたのは21時を過ぎていました。すでにまとめていた荷物に、洗面道具などを宿泊研修の旅行セットから移し替え、手早く入浴して、寮を出発しました。時刻は22時10分。今日は上野のあたりに住んでいる友人宅まで行って泊まり、翌早朝の成田空港行アクセス特急に乗る計画です。完璧なすべり出しでした。

……こたつ机の上の小物入れに、ある物を忘れていたことを除いて……

詰み

  • 2128B 各停 南浦和行:E233系サイ148編成、鶴見22:21→?

友人宅へ行ったわけですが、すでに23時を回っていたのに未だ帰宅していないという忙しさ。黒い職場……かどうかはさておき、日付が変わる直前に彼は帰ってきました。旅行準備もそこそこに近況などの話をしている時

自分「そうそう、帰りは北海道新幹線に乗ることにしたんよ。札幌12時15分発の北斗……(ゴソゴソ)……あ゛っ
自分「……帰りの切符、寮に置き去りにしてきた……」

現在時刻、午前0時40分。ちょうど自分が鶴見から東京に来た時に東海道本線新橋駅で人身事故が起きており、その影響で京浜東北線が20分近く遅れていましたが、南行はすでに蒲田以南・鶴見まで行ける最終が出てしまっており、蒲田止めの最終列車も間に合うか間に合わないかの瀬戸際でした。鶴見まで帰れれば、ひとまず寮で寝て翌日の北行初電で間に合ったものの、もはや詰んでしまった――

彼「これは鶴見までバイク便っすかね」
自分「すんませんよろしくお願いします」

かくして、旅行に出る前に往復道のり50kmの小旅行と相成りました。

バイク便:東京→第一京浜(国道15号)→鶴見→第二京浜(国道1号)→東京

目下の課題は、自分が大型バイクの後部に乗るのが初めてだということでした。自動二輪の免許も持っていないので、原付以外のバイクには乗車経験がなく、その原付も自動車の免許を取る時に教習所内で乗ったきりで公道の経験はありません。
友人のバイク運転の腕には全幅の信頼を置いていましたが、自分がヘマやらかして転げ落ちたりしないかかなり不安でした。さすがにしがみ付きこそしませんでしたが、最初のうちは勧めに従い、発進時に右手で彼の肩のあたりを持って体が後方に持っていかれないようにしたり、座席両脇の取っ手を痛くなるくらいに掴んでいたりしました。

鶴見までの往路は、第一京浜(国道15号)経由でした。夜間でも交通量が多い中、タクシーの群れに交じって南下し、京急蒲田駅のそばを通り過ぎる頃にはバイク二人乗りにもだいぶ慣れてきました。県境を越え、川崎市を通過して横浜市鶴見区に入り、寮に着いたのは午前2時20分でした。案の定、切符は部屋に置きっぱなしになっていました。
みんな寝静まっている寮から二度目の出発をして、戻りは第二京浜(国道1号)に出ることになりました。こちらもそれなりに交通量が多く、夜中はごくまれに珍走団が通過すること以外は、ほとんど車が走らない実家のあたりとは違うなと感じつつ、人の少ない繁華街を通り抜け、友人宅に戻ってきたのは午前3時40分でした。家には入れ替わりに到着して留守番をしていた後輩が寝ていて、我々も少しばかり仮眠することにしました。

睡眠時間:4時間半見込み→1時間

(北海道遠征記(Episode00-B・1日目朝)「成田発白河・大洗遊覧成田行」に続く)

鉄研忘年会(後編)

 吉塚到着後、しばし列車の撮影会をしてから友人ゲートを通って改札を出場。博多から160円の切符を記念にもらった謎の集団として認知されたかもしれない。ここから先は夕方の「食い会」まで適当に行動する。僕はOz君といつものコンビを組んで、ひとまず福岡市地下鉄箱崎線の馬出九大病院前駅に移動。吉塚からはまっすぐに歩いて徒歩5分。途中で県営東公園のそばを通る。ちょうど道路から日蓮聖人の大きな像が見えて驚かされるが、これは東公園の敷地に隣接しているだけで、別に県営公園内に建っているわけではない。しかし地図で見ても航空写真で見ても東公園と一続きになっているようにしか見えない。ちなみに東公園にあるのは亀山上皇の像の方である。デカい像が2体も見える公園は福岡市内でもここだけ。

292列車 普通 貝塚行:2000系第20編成

 馬出九大病院前では、駅事務室の中に僕が大いに興味を寄せている装置が見えた。すなわち、馬出九大病院前の信号・転轍機を司る継電連動装置と連動制御盤。当駅の中洲川端方に折り返し用の渡り線があるため、それに関する信号(場内・出発・入換)を取り扱うためのものである。通常は総合指令所(姪浜か、はたまた交通局の本部がある赤坂か)から一括制御しているため、この制御盤の出番はない。ホームから見ると入換信号機に加え、1番線(貝塚方面)から中洲川端方面に折り返す列車のためのCRTモニター装置もきちんと設置されている。しかし、ここでの折り返し列車は箱崎線開業以来、一度も設定されたことはない。そもそも臨時需要があるとしたら、1駅貝塚寄りの箱崎宮前の方である。

 馬出九大病院前でどちらに進むか迷う。ちょうど貝塚方面と中洲川端方面の列車が同時刻だったので、「2000系がやってきた方の列車に乗ろう」とか、「編成番号が13以上だったらこっち、12以下だったらこっち」などとくじ引きのように選び方を考えていたが、ちょうどやって来た貝塚行の列車が2000系第20編成だったので、文句なく貝塚方面で決まった。列車に揺られて3駅、7分で終点の貝塚に到着。

1506列車 普通 新宮行:600形608編成

 貝塚からどうするかを考え、西鉄貝塚線を何駅かたどることにする。貝塚線に乗るのは6月5日以来。この日、鉄研と同時に所属していた落語研究会から撤退し、最後の借り物を返却しに九州大学箱崎キャンパスを訪れたその足で乗りに行った。その日は偶然にも西鉄最古参の313形315編成が運用についており、片道ではあるが乗車して楽しむことができた。今日は315編成が運用されているか分からない。改札の向こうに見えるホームに停車していたのは600形だった。乗車位置は西鉄新宮方乗務員室のすぐ後、運転台の斜め後ろの小さなロングシート。600形の座席は一昔前の規格で作られているので、目一杯奥に腰掛けても収まりはあまりよくない。僕のデカさを差し引けばいいのかもしれないが。つい4年前までは「宮地岳線最新にして、天神大牟田線最古の車両形式」と称することができたが、今では天神大牟田線には救援車として残るだけ。宮地岳線改め貝塚線最新の車両という肩書きは当分健在である。次に入れ替わるとしたら、福岡市地下鉄直通対応車になりそうな気がする。つい最近福岡市による試算結果も発表されていたから望みが全く無いわけではない。

 発車3分前に事務所から運転士氏がやって来て、発車の準備と案内放送を行う。最初の案内と列車交換時の対向列車待ちの案内を除くと、肉声放送は基本的になく、天神大牟田線で導入されているのと同種の音声合成装置による自動放送となる。古来の独特の響きをさせるスピーカーから新しい電子音声が流れるのも面白い。

 15:48、定時に貝塚を発車。乗客は2両で30名ほど。ちなみにこの列車は列車番号から分かるとおり、上り列車である。発車してすぐに貝塚線の車両を一手に預かる多々良車両基地の横を通る。ちょうど工場建屋内に1枚扉の車両、すなわち313形315編成が停まっているのを確認した。交番検査か重要部検査か分からないが、ひとまずしばらくは活躍しそうであるから何よりである。すでに天神大牟田線からは313形より後に生まれた車両が何形式も消滅しているのに、これだけが生き残っている理由は分からない。

 名島、西鉄千早、香椎宮前と過ぎ、次はどこで折り返すかが問題になる。313形が運用から抜けている以上、運賃との兼ね合いもあって終点まで乗ることは考えていない。昼間時間帯の列車交換が名島・西鉄香椎・和白で行われるため、和白まで進んでしまうと戻りの列車が同じ編成になってしまう。その結果、香椎花園前で下車することにした。15:59着、降りたのは僕達も含めて8名ほど。

1507列車 普通 貝塚行:600形606編成

 香椎花園前で降りて、それから何もしない。駅ロータリー向かいにあるファミリーマートの前まで行って折り返し、3分前に通った改札をまた通る。この駅は2007年3月31日限りで津屋崎‐西鉄新宮間が廃止されたときに、相対式2面2線だったホームのうち、駅本屋と反対側のホームが撤去されてホーム1面とそれに接する1線、ホームがない1線の構成になった。今でもホームのない線に入る進路は生きており、いつでも列車を入れることが出来るが、しばらく列車が入っていないために線路はすっかり錆びていた。

 16:10に下り貝塚行普通列車が到着。こちらは乗客が多く、立ち客が出ている。車体を揺らしながら60km/hを出して元来た道を駆け戻る。終点貝塚の1駅手前、名島では運転士氏がドアを閉めて運転台に着席したところでお客さんが1人走ってきたのでもう一度ドアを開けて乗せた。貝塚までの1駅間をわざわざ使ってくれるのだから、乗車時間の7倍も待たせるのは忍びない。16:23、貝塚着。車内の人が3分ほどですぐに接続する、福岡市地下鉄箱崎線の姪浜行普通列車に乗り換えるために走っていく。僕とOz君は車内に少し留まって、貝塚方の運転台にある方向幕設定器を見る。実を言うと、貝塚線の600形、313形には部分廃止前まで使っていた方向幕がそっくりそのまま残っている。幕のコマ番号は00「基点」から順に、01「試運転」・02「津屋崎」・03「三苫」・04「貝塚」・05「新宮」となっている。通常時は04と05だけを使うので、他の幕を見ることはない。また、宮地岳線時代から、通常運行時に回送列車は設定されたことがないため、「回送」幕はない。

329列車 普通 姪浜行:1000系第18編成

 貝塚では2列車分を見送り、ついでに箱崎九大前方の端で撮影をして、16:40発の姪浜行に乗る。この列車は僕達が乗ってきた貝塚線の列車の1本後、1601列車からの接続を受ける。乗り換え客が乗ってくる前は、6両編成の車内はすっからかんで、改札から一番離れている先頭車には全く人がいない。さて、いよいよ発車時刻になり、福岡市交通局恒例の「1番乗り場から、電車が発車します。扉にご注意ください。プルルル――」と放送が流れる。

 「――ルルルル――ルルルル――ルルルル――」……? 通常時は3秒で止まるはずのブザーが何時まで経っても止まらない。後ろのほうがガヤガヤしているので、貝塚線の列車が遅れたのだろう。結局30秒から1分くらいずっと「ルルルル――」と鳴らし続けて、ようやく発車。時刻は16:42、所定より2分遅れ。大方、貝塚線の列車が遅れて着くまで発車ベルを鳴らすのを待って、お客さんがこちらに走ってきた瞬間から急がせるために鳴らし続けたのだろう。

 貝塚出発時点ではスカスカだった車内は、少しずつお客さんが乗ってきて、馬出九大病院前で概ね席が埋まった。中洲川端からさらに進み、天神のホーム直前で空港線の線路と合流して到着。天神、16:53。

「食い会」

 忘年会の食事部、一般にはこちらが主役でしかも「飲み会」なのだが、鉄研的には旅行のほうが主役で、食事は文字通り「食う」のみ。そして、基本的に成年の参加者でも酒はほとんど全く飲まない。酒の出番は年2回、新入生歓迎会と九大祭後のOB会だけ。天神16:53着後、まだ2時間近くもあるためそれからカメラのキタムラ、ジュンク堂書店やらなんやらで時間を潰して待つ。最後は会場の「焼肉ウエスト 天神店」がある天神ロフトビルに行って、最上階から渡辺通りを見下ろしてバス観察。

 全員集合して、19:00少し前から2時間の焼肉・サラダバー・スイーツ食べ放題。バリバリ食べてやろうと意気込んでいたが、中学、高校時代から比べると多少は詰め込み力が落ちたのか、(僕基準で)大して食べないうちに腹一杯になってしまった。それでも総合すれば2.5人前くらいは行っていそうだが。

帰宅日記

 食べ放題タイム終了後、15分ほど腹休めをして支払い、そして出発。福岡(天神)駅南口は近いのでそこで他の人達と別れる。いつもの癖で北口まで遠回りしようとしていたが、そうしなくて正解だったようだ。次の下り急行列車は、柳川行急行H213列車で21:42発。その次は大牟田行の最終特急A221列車、22:00発。最終的に乗客が5000形6両編成(5128編成+5116編成)にぎっしり詰まって発車。二日市で花畑行普通2213列車(5000形5007編成)に乗り換えて、三国が丘22:16着。

鉄研忘年会(前編)・遙かなる旅【博多→吉塚】

 今日は鉄研の忘年会。午前中はちょっとした旅行をして、夜には焼き肉店で飲み会ならぬ「食い会」をすることになっている。旅の起点は博多、終点は吉塚。距離は1.8km、所要時間は3分……の約100倍。鉄道好きにはすぐにぴんと来るだろうが、書くのは後で。個人的には「時速」300mで線路沿いを歩くのも面白そうだと感じるのだが。

2080列車 普通 福岡(天神)行:3000形3012編成

 出発は三国が丘8:35発、2080列車。8時前から畳屋さんが来て、畳の運び出しを行っていただいたので、そのあたりで準備に手間取って危うく遅れるところだった。この列車は平日ダイヤと土曜休日ダイヤでほとんど時刻変更がかからない、パターンダイヤの時間外の列車としては珍しい部類である。ついでにいうと充当車両も3000形5両で変わらない。しかし緩急接続については違いがあり、平日は二日市で後の特急A080列車と接続するが、土曜休日はその列車が福岡(天神)到着時刻はそのままに、大牟田発時刻を繰り上げて急行G084列車となるため、当列車との接続は筑紫になる。したがって僕はわずか2駅にして2080列車に別れを告げることになる。8:39、筑紫到着。

G084列車 急行 福岡(天神)行:5000形5130編成+51xx編成(6両)

 8:43に急行G084列車が到着。例によって先頭車に乗る。このスジは今年3月のダイヤ改正前までは、土曜休日ダイヤ唯一の2000形定期運用になっていた。特急A071列車で下った後、急行G084列車で上ってきて天神大牟田線を1往復し、J091列車として筑紫まで走って車両取り替え入庫。昨年の予備校時代は、9月からの授業が土曜日にも入っていたので、この列車で2000形に乗るのが楽しみだった。筑紫を出てすぐに、2時間後に通過するはずの筑豊本線(ネタバレ※1)をくぐり、1時間後に通過する鹿児島本線(ネタバレ※2)をまたぎ越し、すし詰めのような肉詰めのような状態になって9:11、福岡(天神)に到着。

436C 普通 福岡空港行:2000系第24編成

 地下鉄空港線の列車への接続時間は4分、毎週火曜日の西唐津行普通629Cへの乗り継ぎより1分短い。幸い商業施設の開店前で人はさして多くないので、小走りでいつものルート――北口階段からパルコ横の階段を駆け下り、中央口から地下鉄構内に突入。ホームにたどり着いたときは、まだ発車標には1駅手前の赤坂に停車中と出ていた。

 入線してきた編成は2000系第24編成。6号車3番扉の乗車口前に並ぶと、ちょうど目の前にOz君の姿が滑ってきて止まった。ちょうど乗車場所と同じ場所になるとは、不思議な偶然もあるものだ。列車に揺られ、9:21に博多到着。博多で下車する人はかなり多かったが、入れ替わりに乗ってくるキャリーバッグを引いた人の姿も多かった。福岡空港からどちらまで飛んで行かれるだろうか。

博多駅にて

 博多駅では在来線中央改札前に集合。今回の参加者は僕、Oz君、Nk君、Is会長、Knさん、Naさん、Hrさんの計7人。このうちNaさんは原田(ネタバレ※3)でお会いし、Hrさんは時間の都合上篠栗線経由でショートカットして桂川からの合流(ネタバレ※4・ここまで来れば明白である)となった。それぞれ券売機で切符を購入。旅行で買う切符は大抵価格も枚数も券面表記も大仰なものになりがちだが、今回は実にシンプル。「博多→160円区間」のエドモンソン券。普通の人なら列車に乗るためだけに使ったら後は見向きもしない。かくして9:40過ぎに改札をくぐり、隣の吉塚に向けて「壮大な」旅を始めた。

 1つ目の列車に乗る前に、6番乗り場に停車している1001M・特急「有明1号」の787系の写真をみんなで撮影。来年3月のダイヤ改正により「有明1号」は朝から夕方に移り、行き先は現在の武蔵塚(豊肥本線)から、はるか北の長洲までとなる。

3389M 快速 荒尾行:811系PM5編成+PM3編成(荒尾→)

 9:51、有明1号の停車している向かい側のホーム、5番乗り場に811系の8両編成が入線。3389M、荒尾行の快速列車である。博多で一斉に乗客が降りて先頭車はがらがらになったので余裕を持って最前列の座席を確保できた。811系の基本番台車は扉すぐ横の座席も転換できるようになっている。有明1号のすぐあとを追い、9:54に発車。進行方向右手側の3番ホームでは、783系の「みどり・ハウステンボス」8両編成が据え付けられ、やや離れた西引上線には「かもめ」5両編成が誘導を待っていた。もう少しすればちょうど連結光景を見ることができたのだが。「ハウステンボス」運転開始以来、485系の時代から長らく行われてきた博多駅での3階建て列車組成も、2011年3月11日をもって見納めとなる。「かもめ」と「みどり・ハウステンボス」の併結がなくなれば13両編成を組むことも無くなり、博多(と、肥前山口)で行うべき分割併合作業も消えてしまう。

 列車は信号にかかることなく快調に走る。「鈍速」と称したくなる博多‐鳥栖間の快速列車も、駅間だけを見れば割と速く走る。途中駅での待避が長いのだが。笹原を過ぎて間もなく、つい1時間前に通過した西鉄天神大牟田線の線路をくぐる。残念ながら、西鉄の列車が通りかかることはなかった。どちらの線も列車運行本数は割と多いのに、日中はなぜか示し合わせたように、同時交差がまれにしか発生しない。つい最近までは頻繁に実現していた、西鉄福岡(天神)毎時00分発の大牟田行特急と、JR博多毎時01分発の885系特急「かもめ」との同時交差も、なかなかお目にかかれなくなった。南福岡、大野城と下り、駅設置の計画があさっての方向に吹っ飛んでしまった太宰府信号場を通過し、10:09に二日市着。3分停車し、後の特急「かもめ13号」(885系)の通過を待つ。ミニ新幹線としても通用する外見と速さ(残念ながら在来線区間のみ。新幹線区間を走行するためには足回りの大改造が必要)で颯爽と去っていった後、こちらも本気を出して天拝山を通過、遠目にこれから通る筑豊本線の山口川橋梁と、2度目の西鉄天神大牟田線を見つつ、かつての仮塚峠(かんづかとうげ)を抜けて10:18に原田に到着。一応、自宅の最寄駅になるが、距離は4km離れているため利用しづらく、最近では専ら西鉄の定期券を猛活用して三国が丘→紫→(徒歩連絡)→JR二日市→原田以南・佐賀方面へという行き方になっている。以前は徒歩連絡として西鉄朝倉街道~JR天拝山のルートも使っていたが、両駅の発車時刻が絶妙にズレているせいで、どちらの乗り換えにもやたらと待ち時間が発生していたので最近では出番がない。

 原田では2番線(鹿児島下り本線)に到着したので、先頭車が跨線橋からはるかに離れた場所に停車する。それゆえ勝手知ったる下車客は基本的に最後部に固まっている。わざわざ先頭から降りる人は初心者、あるいは同類。今日の先頭からの下車客は鉄研一行――と、博多出発時点からずっと乗務員室直後に陣取っていた中高生1人。熱心に前を見ていたところからして、彼も我らが同類であるようだ。

6624D 普通 桂川行:キハ31 1(単行)

 そして僕のどうでもいい予想は当たった。件の彼も跨線橋を渡って原田駅0番乗り場、筑豊本線(原田線)のホームにやって来た。列車到着までは15分少々あるので、その間は通過していく列車の数々を見たり写真を撮ったりする。現在、原田駅を主役として通過していく「リレーつばめ」「有明」の787系は、来年3月の改正から数を減らす。昼間時間帯に見ることは極稀になるだろう。783系の13両編成も然り。家から微妙な距離にあるため、有名な撮影ポイントである原田駅近辺になかなか足を運ばないが、そろそろ本腰を入れようか。

 10:34、桂川からの6625Dが到着。直ちに折り返し6624Dとなる。降りてきた乗客は20人程、そしてこれから乗る人も同じくらいいる。閑散線区と称される割には利用客がそこそこいるのがこの区間の特徴とも言える。もっとも、うち最低7人(鉄研6人+件の彼)は大回り乗車であるからどう見ても定期外利用客。このキハ31に搭載された運賃箱の中身増加には寄与しない。やってきたキハ31はトップナンバー車で、中は全席転換クロスシート、濃い赤と茶のモケットになっている。

 10:39、列車は定時に出発。ちょうど鹿児島上り本線を通過していく783系の特急2010M「かもめ10号・みどり8号」と並走した。2010Mは「みどり」として、「ハウステンボス」編成を連結しているため、見た目は3階建て列車。編成が長いほうが長距離特急列車としての風格があるなあと思いつつ、こちらは右手にカーブして分かれていく。ホームが途切れる辺りで先頭と並んだのに、それから100m足らず先のカーブのところでは最後部と並んだ。

 切り通しを抜け、西鉄天神大牟田線と2度目の交差。少し離れた筑紫駅に、3000形の上り列車(時間からして、福岡(天神)行急行J102列車)が停車していて、タッチの差で列車交差は実現しなかった。国道200号線冷水峠経由の旧道と交差する踏切では、ちょうど峠の手前まで並走するバス路線、西鉄バス上西山線の浦の下行が待っていた。このバスは筑紫駅から走ってくるのだが、これから分かる事実が1つ。バスから列車に乗り換えることはできない。乗り換えて相互を利用しようと思う人なんか僕以外にいそうにもないけど。

 1駅目の筑前山家で1人下車。ここの信号設備(場内・出発信号)を復活させて、原田との間に2駅ほど作って区間列車を増発すれば多少は需要を喚起できると思うが、そのような計画は全くない。駅近くの広場に保存されている西鉄北九州線の路面電車と旧車体の西鉄バスに見送られ、冷水峠越えにかかる。列車は50km/h~60km/hでそろそろと登る。キハ31のエンジンにかかればこのくらいの峠でも造作なく登れるが、余り力が強いと日陰の露なんかで空転してしまうのかもしれない。つい数日前にもここを大回り乗車で通過したというOz君曰く、朝1番手の6620Dでは霜のせいで思い切り空転して、列車が5分遅れたという。

 浦ノ下トンネルを通り、いよいよ冷水トンネルに突入する。ふとそこで運転士氏が腰を浮かし、瞬間技で運転台直後の遮光幕を下ろした。そう、長大トンネル通過時には光の反射で前方の視界が阻害されるのを防ぐために、遮光幕を下ろさなければならない。本来なら筑前山家出発前に下ろすことになっているのだが、失念してあったのかもしれない。トンネルに入ると長い直線区間が続くので、エンジン全開で加速し85km/h程に至る。勾配の頂上に達する辺りでマスコンを戻し、速度を落としつつ下る。トンネルを抜け、数年ぶりに筑豊の地に足を踏み入れた。

 2駅目の筑前内野では1人乗車、次の上穂波で1人下車、10人乗車。すると次はもう終点の桂川である。今日は遅れることなく11:07、定時に到着した。桂川では全ての乗り場が電車の高さに合わせて嵩上げされているため、在来気動車であるキハ31の場合、車内ステップが逆段差として働いてしまう。そのことに対する注意を喚起するべく看板が立てられていたが、絵柄がキハ200。キハ200は電車ホームの高さに合わせたフラットな床面だったと思うが。ちなみに原田では、0番乗り場に限りホーム嵩上げを行っていないため、ステップが有効に機能する。この列車は桂川から回送となって直方に戻るらしく、方向幕は「回送」に合わせられていた。

2632H 普通 直方行:817系1000番台VG105編成(2両)

 桂川でも鉄研一行と件の彼は同じように跨線橋を渡って1番乗り場に行き、直方行の普通列車に乗る。この列車にはHrさんが乗っており、これで一応全員合流となった。筑豊本線を走る817系1000番台は駅収受式ワンマン運転区間にのみ充当されるため、0番台と違って運賃箱と運賃表示器は準備工事のみとなっている。11:15に発車。駅の有効長がやたら長い天道を過ぎ、複線区間の端点である飯塚を通って9分ほどで新飯塚に到着。飯塚と新飯塚の間は1.8km程の距離である。Oz君と話していて出てきたのが、「新幹線絡みではなく、違う会社同士でもなくて、頭に『新』が付く駅と付かない駅が近くにあるのは珍しい」ということ。後になって調べてみると、「飯塚-新飯塚」、「水前寺-新水前寺」(豊肥本線)、「札幌-新札幌」(函館本線-千歳線)、「大楽毛-新大楽毛」(根室本線)、「旭川-新旭川」(石北本線)、「琴似-新琴似」(函館本線-札沼線)、「青森-新青森」(奥羽本線・新青森駅そのものは、12月4日の東北新幹線全線開業のはるか以前からあったのでカウント)の7つだけ。

 新飯塚でも20分弱の待ち合わせがある。後藤寺線の列車を待つ人は結構多い。11:37頃、原田から桂川まで乗ってきたキハ31 1の回送列車がゆっくりと通過していった。桂川から直方まで20.5kmも回送するのだから、ついでに快速列車として営業運転するのはどうだろうか。電車列車の快速は当区間においては勝野だけ通過となっているが、それだと遅くなるので飯塚・新飯塚・小竹停車くらいにすると速く出来る。

1551D 普通 田川後藤寺行:キハ31 3(単行)

 11:38にお客さんをたくさん載せた1548Dが到着。折り返し1551Dとなる。ホームに待っていた人をすべて吸収すると座席はほぼ一杯になり、数人ほど立ち客が出た。博多から同一行程の件の彼ももちろん同乗。今度のキハ31 3は全席転換クロスシートで、モケットはJR九州更新タイプ(青黒市松模様)になっている。11:47に発車すると、左手にカーブし、進路を東に向ける。国鉄全盛期には網の目のように路線があったこの地域も、炭鉱閉山後はことごとく赤字になって特定地方交通線としてばっさり廃止され、筑豊本線と日田彦山線をつなぐJR線は、この後藤寺線だけとなっている。同種の線は他に平成筑豊鉄道の伊田線があるだけ。沿線に住宅の姿は余り見られないが、下鴨生ではまとまった乗降があった。セメント工場の中に迷いこむように走って船尾に到着。すぐ近くにセメントが山となっているためか、ホームが白っぽく煤けている。12:07に田川後藤寺に到着。

952D 普通 小倉行:キハ147 1057+キハ147 xxx(小倉→)

 田川後藤寺では4分接続で、日田彦山線の小倉行普通列車に乗り換える。待っていたのはキハ147の2両編成。福岡県下のJR各線で、唯一JR世代の車両が走ったことがないのが日田彦山線の城野‐田川後藤寺間。田川後藤寺‐夜明間ではキハ125が運用に加わるようになった。

 田川後藤寺出発時点で、すでに空いているボックスはなくなっていた。各駅で乗客を集めていくと空席が無くなり、最終的に立ち客が20人弱となった。途中駅での乗降よりも、田川から小倉方面への直通需要が多いと見える。輸送力としては2両で十分、3両にするとちょっと空きすぎるかもしれない。城野で日豊本線に合流。昼間時間帯の小倉行列車は、数本ほど城野で行橋方面からの普通列車を先行させるものが存在する。952Dはそれには当てはまらないので、30秒停車でただちに出発。田川後藤寺から隣のボックスにお座りで、南小倉で降りて行かれた年配の方2人組も大回り乗車組であったようだった。13:01に西小倉到着。

4347M 快速 大牟田行:813系RMxxx編成+RM216編成(大牟田→)

 西小倉では、ちょうど上下のソニック(26号:小倉13:07着、23号:小倉13:06着)が鹿児島本線と日豊本線から小倉へ向けて合流し、追いかけあうように走っていった。これが撮影できるのは小倉に向けて走る列車に限られ、小倉発は両列車の進路が平面交差するために時間がずらされており、並んで走る光景は見られない。

 13:16に大牟田行の快速列車が到着。正真正銘の快速で、赤間‐折尾間で各駅に停車するパッタもん「準快速」ではない。博多からずっと一緒の件の彼も、この列車に乗り込んでいるのを確認した。

 13:35、折尾で上り本線に入ってきた快速門司港行4342Mの車両になんか見覚えがあると思って編成番号を確かめると、原田から博多まで乗った3389Mと同じ811系のPM5編成+PM3編成だった。あの車両が荒尾に行って、また折尾まで帰ってくる間に、僕達はくるりと回ってきたということになる。折尾から赤間までは無停車で突っ走る。これぞ快速という走りが見られる数少ない区間の1つである。このまま乗換駅の香椎まで追い越し無しで走りきれるかと(時刻表を見ずに)期待していたが、あと2駅の福工大前でついに待避線進入。後の特急3028M「ソニック28号」に追い越された。14:13、香椎に到着。博多発吉塚着の片道乗車券で最長距離を乗るためには、ここからさらに香椎線・篠栗線を通る。

 4347Mが香椎を出発した瞬間、急停車した。何があったのかとOz君が走って情報収集。すると、彼の高校の後輩が同じ列車に乗り合わせていたらしく、「踏切の非常警報装置が作動したため急停車した」旨放送があったという情報が提供された。列車は3分ほど停車した後、普通に発車していった。

755D 普通 宇美行:キハ47 133+キハ47 9051(宇美→)

 気がつくと香椎線の宇美行普通列車が入線したので乗り込む。香椎線には一時期キハ200系が投入され、キハ40系と共に運用されていたが、その後キハ40系エンジン未改良車(一部は改良車)に統一されて国鉄的見た目に逆戻りした。運転時分・線形的にそれで十分だと判断されたのだろう。ちなみに直方運輸センター所属のキハ40系のうち、香椎線運用に充当される博多運転区常駐車には、お手軽改造によるLED式行先表示機が設置されている。締まり屋のJR西日本広島支社でさえ、小さいながらも車体改造してLED式行先表示機を設置したのに、JR九州ときたら戸袋窓のところにサイズぴったりの表示機をネジ止めしただけという手軽さ。サボ時代よりも分かりやすくなっているので文句はない。「(上)西戸崎←→宇美/(下)雁ノ巣←→宇美」と2段に書かれたサボが差し込まれていたときには、上りも下りもどの行先なのかも分からない、香椎止まりではないことだけしか分からない。「香椎線」というサボが入っているのと変わらなかったのに比べれば格段の進歩である。

 列車はのっそりガタゴトと走り、14:36に長者原到着。ここの香椎線ホームには、駅長権限で操作できる「接続待ち」表示機がある。篠栗線側は場内・出発信号機を備えた停車場であるため、接続待ちの操作は博多総合指令センター持ち。

2647H 普通 博多行:817系1100番台VG1102編成

 最後を飾る篠栗線の列車は、例によって額が広い817系1100番台「大LED行先表示機」搭載車。車内は比較的混んでいた。この列車は長者原に14:40に入線したのだが、14:42に出発信号機が進行現示に変わるまでATS-SKの警報持続チャイムを止めなかった。他の線区では出発停止ならドアを開けたときにチャイムを解除しているのだが。

 列車は原町、柚須と走り、大きくカーブして鹿児島本線に並ぶ。14:50、博多出発から4時間57分を経て、ついに隣の駅・吉塚に到着した。

2010佐賀インターナショナルバルーンフェスタ(前編)・会場到着前

 今日は午前中にひょうたんの加工作業(腐らせた中身を抜き取る)をし、午後から佐賀に出かけた。目的地は嘉瀬川河川敷。3日から7日まで開かれている、2010佐賀インターナショナルバルーンフェスタに2年ぶりに行くため。僕がこれまでに行ったのは1997、1998年(この時は11月下旬開催)、2000年(この年から11月上旬開催になった)、2004年?、2006~2008年。2008年は大学受験が控えているのをおして行ったが、大会が佐賀で開かれるようになって30周年となる2009年は、予備校の都合のため行くことができなかった。

その前に:自宅→小城の祖母宅

 佐賀へ行くための交通費片道分を浮かすべく、ちょうど祖母宅へ行くという両親の車に乗せてもらうことにした。12:25に自宅を出発。スーパーに買い物に寄ったあと、鳥栖インターから佐賀大和インターまで長崎自動車道を行く。一応運転免許を持っており、この区間の高速道路も走行した経験はあるが、自分ひとりで運転しようとは思わない。確かな人に運転してもらうのが一番。祖母宅に行く途中で佐賀市内の伯母宅に立ち寄り、最近生まれた従姉妹の子を見る。僕も19年前はこれほどに小さかったと聞いたが、今となっては偲ぶべくもない。バルーンフェスタの渋滞に巻き込まれるのを防ぐため、佐賀から小城まで裏道の県道・広域農道を使って移動した。14:30祖母宅到着。

小城→バルーンフェスタ会場

 祖母宅で昼食・昼寝のあと、1人で16:20に出発。近道として、県立小城高校の敷地と小城公園の中を抜けて小城駅へ行く。東から南東にかけての空に、何機ものバルーンが浮かんでいる。久々に訪れた駅は普段の2倍強の人がいた。自動券売機で220円の片道乗車券を購入。券売機の横に手書きでバルーンさが駅までの運賃が示されていたのでそれに倣った。

 16:38に佐賀行普通5846Dが入線。小城から西に2kmほど直線区間が続くので、到着放送の1分以上前から列車の接近が確認できる。高いところに2灯見えたので、少なくとも佐賀方の先頭はキハ47形。果たして入線してきた列車は、キハ47-9126とキハ125-1による、唐津鉄道事業部名物?の異車種混合編成。JR化後間もない、国鉄在来型気動車が多数ゴロゴロしていた頃は当たり前に見られた風景も、全国的に過去のものになりつつある――九州島内(唐津線・三角線)を除いて。

 ホームで待っていた乗客3、40人が2両編成の列車に乗り込み、あっという間に一杯になる。キハ47の乗務員室後ろから客用扉まで、かつてあったロングシートを撤去して生まれている広場(2000年5月号の鉄道ジャーナルでは「運賃箱広場」と形容されていた)に20人弱が立っている。ラッシュ向きの設備がこんな所で役に立った。5846Dは小城で西唐津行普通5849Dと交換する。しかし、こちらの出発時刻である16:42を過ぎても一向にやって来る気配がない。当然ながら出発信号機も停止信号を示したまま。「下り列車が遅れております。発車までしばらくお待ちください」と車掌氏(2両以下の列車は本来ならワンマン運転だが、今日は車掌乗務だった。ただしドア扱いは全て運転士氏の業務になっていた。)の放送があった。

 16:49にようやく5849Dの姿が見え、16:50に入線。あちらの列車はキハ47の2両編成に加えて、西唐津方にキハ125が連結されていた。所定では2両編成のはずなので、1両の増結になる。入れ替わりに5846Dが発車。8分の延発。しばらく進んで東から南に向きを変えると、キハ47の改造エンジンとキハ125の強力エンジンを猛活用して速度を上げ、89km/hでノッチオフ。九州島内では「はやとの風」を除けば、キハ40系がこれほどの速度を出すことはそうそう無い。長崎本線に合流する久保田までの5.1kmを曲線速度制限と信号速度制限込みで5分で走るのだから大したものだ。16:55、8分延はそのまま、所定の久保田発車時刻を5分過ぎて到着。ここからも20人程乗客があり、ますます一杯になる。

 久保田を出たら次はバルーンさが。駅の前後では50km/hの臨時速度制限がかかっており、駅営業期間中だけ設置される「バルーンさが」と書かれた黄地の停車駅確認標と一緒に建てられている。嘉瀬川橋梁を渡ると会場が見えてきた。普段は人っ子一人いない河川敷が黒山の人だかり。駅のホームも人であふれ返っている。16:58、5分遅れでバルーンさが到着。行列を作って駅改札口へ。駅には佐賀県内の他の駅やJR九州の本社などから応援部隊がたくさん来ている。佐賀地区のJR九州を統括する佐賀鉄道部の部長という方の姿も見た。

2010佐賀インターナショナルバルーンフェスタ(後編)・会場からの帰宅日記

長い行列……でもあっという間に捌ける

 ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン終了後、直ちにバルーンさが駅に向けて移動を始める。人の流れは駅へ向かう人、シャトルバス乗り場へ向かう人、会場すぐ近くの駐車場に向かう人など、北へ南へ交錯する。会場内のアナウンストークでは、「終了後すぐに帰ると車も渋滞するし、駅も混んでいるので、時間がある人は憩いの広場近辺の屋台や、うまかもん市場でもう少し過ごしてからお帰りになるのはどうでしょう」といった感じのことが語られている。これは毎年恒例。ちなみに一昨年は僕もその誘いに乗り、屋台で焼きそばを買って食べ、一息ついてから帰ったのを覚えている。今年はそのまま駅に向かっていったが、着いてみると案の定、佐賀・博多方面乗車待ちの行列が延々と伸びている。長さにしてみれば150mほどだが、僕が来た時点ではすでに折り返し点ができ、そこから20人弱が並んだところだった。ただいま19:30。あっという間に後ろの方に行列が伸び、どうも1往復して最後尾が駅のところまで着いてしまったようだ。結構時間かかるかもな、とのんびり構えていたら、列車(ただし817系の2両と4両の2列車)が来て乗客を飲み込んだだけであれよあれよと行列が進み、10分ほどで改札口まで来ることができた。

 行列が混沌としている間は不心得者も出てくるもので、僕が見る限りでは追い越していった中年男性が1人、僕のすぐ前にいた初老の男性の知り合いらしき人が、その人を見つけて行列を乗り換え、都合100mのショートカットをしたなんてことも。

9866M 臨時普通バルーンフェスタ号 鳥栖行:811系PM13編成+813系RM221編成(7両)

 改札口は事実上のフリーパス状態。人の流れに乗ってホーム前よりに進む。19:48に到着した列車は、811系と813系による7両編成だった。7割方空席で到着した列車があっという間に人で埋まり、ラッシュ時並の混雑になる。僕はとにかく先頭まで行き、中央扉のところに乗り込んだ。19:50、所定ダイヤより5分遅れで発車。一気に加速して次の鍋島へ。鍋島ではすでに本日の貨物列車が全て出発しており、構内は静かになっている。下り本線のさらに南側にある3番線(上下待避線)には、佐賀20:57発、特急2086M「かもめ106号」となる885系の回送列車が停車していた。この編成の前運用の佐賀終着が19:14、それから折り返しに1時間43分も間合いがある。何とも長い。

 19:55、佐賀着。お客さんの大半が降り、先頭車の座席には結構な余裕が出てきた。所定ダイヤでは19:51着、19:55発なので遅れはほぼ解消した。ここで最前列の空いた座席に座る。19:56に発車。

 夜の闇の中を、811系が鹿児島本線でもなかなか出せないような速度で走っていく。佐賀‐鳥栖間の普通列車運転時分の目安は、811、813、817系が23分、415系が26分。区間によっては120km/hまで出して走ることもある。伊賀屋を過ぎ、神埼でまとまった下車。吉野ヶ里歴史公園の西駐車場も、バルーンフェスタのために一部が貸し出されている。

 一昨年のバルーンフェスタ号は、佐賀・神埼・吉野ヶ里公園・中原の4駅で折り返してしまう列車が一定数あり、鳥栖になかなかたどり着けなかった。今年は鳥栖まで行く列車がほとんどとなったので乗り換えの手間が減り、実にありがたい。さらに鹿児島本線の列車と直通運転にした列車も下り1本、上り3本設定されたのも特筆される。20:18、鳥栖3番乗り場(4番線)に到着。

 列車から降りたら編成の確認。811系PM13編成の方はATS-DK設置工事がすでに行われ、車体に四角囲みで「DK」「SK」(従来より設置されているATS-SKのこと)と記されていた。

鳥栖駅にて小休止

 9866Mの到着とほぼ同時に、中線(3番線)をひとつ隔てた2番乗り場(2番線)から、門司港行の普通列車(2360M)が1分遅れで出ていってしまった。臨時列車にありがちな接続の悪さ。「有明30号」と2360Mの発着番線を入れ替えて、9866Mを2番乗り場に付けるようにすれば、即時対面乗換ができたかもしれないなあ。ちなみに9866Mは鳥栖から回送列車となって、鹿児島本線を上っていった。どうせ南福岡まで行くならついでに乗っけてくれないかなと思ったが、夜間に輸送力過剰になるのは明らか。放送で案内された接続列車までは18分の待ち時間がある。その間に、1~4番ホームにある公衆電話と自動販売機の調査を実行。5・6番は後日調査。

4376M 快速 門司港行:813系RM103編成+RM216編成(6両)

 1番乗り場に到着した快速門司港行に乗る。しかし、出発予定時刻の20:36になっても列車が出ない。長崎本線から来た普通列車(2946Mだと思うが、該当する時間付近に列車が存在しなかった?)を待ち、3分遅れで鳥栖を出発。田代を通過して速度を上げた矢先、基山の手前で減速し、珍しく分岐器を渡って中線に到着した。駅の放送が快速列車の乗り場が臨時に変更されていることを伝えていたから、突発的な列車待避なのだろう。鳥栖駅を出る時に、本来なら先行しているべき博多行特急「かもめ44号・みどり28号」がまだ到着していなかった。果たして、まもなくして通過した列車は783系の9両編成だった。特急のあとを追うようにこちらも発車。20:47、基山5分延発。

 列車が出て間もなく、車内放送で新大阪行新幹線「のぞみ600号」への乗り換え客は申告するよう案内があった。当該列車の博多発は21:11。この列車の到着は所定なら21:04だが、5分遅れているため乗り換えができなくなる。

 20:51に原田到着。我が家まで4km弱まで接近しているが、ここで降りても1時間歩くか、タクシーに乗るかしないとたどり着けない。そのためもうちょっと北上する。普通列車なら天拝山で降りて、西鉄の朝倉街道まで徒歩連絡5分。今乗っているのは快速なので二日市で降りて、西鉄は紫(むらさき・筑紫のミスタイプではない)まで同じく徒歩連絡5分。最近はJR二日市~西鉄紫の徒歩連絡ばかり使っている。二日市20:56着、列車を見送ってから改札に行き、「バルーンさが→二日市」の片道乗車券(POS端末券・バルーンさが駅発行)を記念にもらって外に出た。

3203レ 普通 小郡行:6000形6054編成(4両)

 若干暗い道を歩くこと5分足らずで紫に到着。程なく下り普通列車が来たのでそれに乗る。21:04発。乗客は4両編成のロングシートが概ね埋まる程度。21:15、三国が丘到着。

2010佐賀インターナショナルバルーンフェスタ(中編)

憩いの広場(ふるさと物産館・うまかもん市場)めぐり

 家族連れ、友人グループ、カップルなどの集団が行き交う中、僕のように一人で来ている人もいる。大抵はカメラを提げており、つまるところは撮影者。しばらく駅南側の土手でバルーンさが駅に発着する列車を眺めたあと、北側に広がるうまかもん市場のテントへ。

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そこへの道中に、公衆電話が2台設置されているのを発見した。もちろん臨時設置であるから、「公衆電話チズ」にマッピングするわけには行かない。取り敢えず写真に収めておいた。

 うまかもん市場には佐賀県下の各地域から農海産物、名物の菓子(小城羊羹など)、地酒などが集まるほか、木工やわら細工などの体験コーナー、佐賀県内に店舗を構える唯一の百貨店、玉屋の食料品コーナー各店からの出店もある。特に何か買うわけでもないが、ふらりと見て歩くだけでも結構楽しめる。ひしめく人の中をゆっくりとかき分けながら1往復。

ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン2010

 18:00を回る頃、憩いの広場からJRの線路をくぐって南へ下り、ローンチエリアに移動。エリア各所で様々なバルーンの立ち上げ準備が行われている。幸いにも風はほとんどなく、予定通り夜間係留イベント「ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン」が行われそうだ。このイベントは、夜の河川敷にバルーンを飛ばさないように立て、バンド演奏に合わせてバーナーを焚き、バルーンを輝かせる。パンフレットの言葉通り、まさに大きな光のオブジェ。このイベントの名前は、世界で初めて熱気球の有人飛行を行った、フランスのモンゴルフィエ兄弟の名に由来する。日本語に訳すると「モンゴルフィエの夜想曲(ノクターン)」

 ちなみに、このイベントはバルーンを使う関係上、風が強い時には開催できない。その際は球皮(バルーン本体というと分かりやすいかもしれない。つまり人が乗るかごの上についている、空気を溜める袋)を張らず、バーナーだけでイベントを実施する「バーナーバージョン」になる。僕が観に行った時では、2007年11月3日のイベント第1夜(4日目と5日目に開催される)がバーナーバージョンだった。河川敷にたくさんの火の柱が上がる光景というのもなかなかに面白いものがある。

 すでに土手のところには人がたくさん詰めかけており、空いている場所を探してどんどん下り、最終的にはローンチエリアE、Fの境界付近に場所を見つけた。過去3回見た時より少し南寄り。日はすっかり暮れ、時々そよりと吹く風がだいぶ冷たい。

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 放送塔のマイクがアナウンス担当からイベントMCに渡り、ローンチエリアの照明が減光された。「Three, Two, One, …… Burner, ON!」――18:30、ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン2010、スタート。何十機ものバルーンのバーナーが一斉に灯り、その姿が浮かび上がった。

 一斉バーナーオンを行ったら、次はバンド演奏に合わせて各チームが自由にバーナーを焚く。音楽と共に明滅するバルーンがとても綺麗。2006年から今年まで、昨年を除いて毎年夕方に訪れていたのは、このひとときを楽しむため。僕は音楽に関してはとんと疎いのでMCの方が曲を紹介してくれてもすぐに忘れてしまう。覚えている数少ない曲はジョー・ガーランドの「イン・ザ・ムード」とバッハの「G線上のアリア」くらい。曲名だけならラストに流れたビートルズの「ヘイ・ジュード」も。

 イベントの途中ではいくつか面白い試みも行われる。その1つは、バルーンチームを場所ごとにA(放送塔の正面)、B(放送塔の両斜め方向)、C(南北端)の3チームに分け、MCの方の合図に合わせてバーナーを明滅させるもの。「バーナーオン、A!」と掛かったらAチームのバルーンが輝く。これを最初はゆっくり、徐々に早くなり、最後は「A!」「B!」「C!」の掛け声だけでめまぐるしく点いたり消えたりする。もう1つは、昨年から始まった「バーナー三三七拍子」。三三七拍子のリズムに合わせて「A、B、C!……A、B、C!……A、B、C、B、A、B、C!」と声がかかり、それに合わせて光の位置が移り変わっていく。昨年は見ていないのでわからないが、今年は点滅が綺麗に揃い、大成功だった。

 長いようで短い40分が過ぎ、19:12にラ・モンゴルフィエ・ノクチューン2010完結。最後は例年通り、花火が1分のうちに約100発打ち上がって終了。

フィールド科学研究入門 4日目(最終日)後編「『フェリー屋久島2』乗船録・宮之浦港→鹿児島本港」

 タラップを上ったところで乗船券を係の人に渡し、3日ぶりの船の上へ。2等船室に行き、腰を落ち着ける。行くときはこっぱげたカーペットの方に座ってしまったので、帰りはしっかり観察して新しいカーペットが使われている方を選んだ。ちょうど時刻は13:00を回っていたので、「わいわいらんど」で買ってからここまで振り回してきた弁当を食べることにする。値段は手頃、量もいい感じで、美味しく頂いた。船には僕達一行の他、いくつかのグループや島の人が乗り込んできており、2等船室はここに来たときの便よりも多くの人で賑わっていた。

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 やがて13:30になり、船がゆっくりと動き始めたので、デジカメだけを抱えて船の左舷前方(第三甲板だったかな?)に行く。ちょうど眼下に見えているウインチが備えられた甲板ではすでに係留ロープの巻き取りが完了しており、作業員の方が最後の作業を行っていた。汽笛を響かせ、微速後進しつつ港の中で船の向きを入れ替える。方向転換は7分ほどで完了し、機関が全速前進に切り替わる。13:39、宮之浦港の最後の防波堤を通過した。

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 宮之浦港を出港したら直ちに外洋になるため、波は往路よりもはるかに穏やかであるものの、少しではあるが上下動がある。事前のコース別説明会でY教授が言っていた「トビウオを見ることが出来る」という言葉を受けて、濃い青緑色をした海面をぐっと注視する。すると海面を滑るように走る小さく光る物体が多数見られた。トビウオは本当に海面上を飛んでいた。「バッシャーン」という派手な感じではなくて、「チチチッ――チッ――チッ――チッ」という飛び方をする。せっかく写真に撮ろうと思ったのだが、デジカメの画面を覗き込んでも、トビウオが小さくて何も見えない。こんな時は家に転がしてきている自分のカメラがあったらよかったなあ、とも思うが、あんなデカイものを抱えて山登りなぞできっこない。海面を見ると水を切って生まれた白い泡が急速に後方に去っていく。いつしか後方の屋久島の姿も見えなくなっていた。しばらく待ってもトビウオの群れが出てこなくなったので船室に戻り、横になる。往路では船酔いを引き起こした長い周期の揺れも逆に気持ちいい。エンジンの響きも最高…………

 …………ふと気づいて腕時計を見ると、時刻は16:10。最後に時計を見たのが14:10だったから、2時間ほど身じろぎせずに眠りに落ちていたことになる。船室を見渡すと、起きっぱなしでワイワイやっているのは僕達一行のうち1グループのみ。その他の人や別のお客さんは大抵横になって昼寝をしているか、読書に勤しんでいた。再び外に出る。さっきいた左舷前方には先客がいたので、次は右舷前方へ。すでに内海に入っており、西側に薩摩半島、東側に大隅半島が連なる。ちょっと左舷側に行くと、開聞岳の姿が見えたので撮影。残念ながら山頂部は厚い雲の中だった。それから10分足らずでこの船の西側を高速船が通過していった。その目的地は種子島か屋久島か。再び右舷に戻って、何とは無しに景色を眺める。するとちょうどY教授も通りかかって、北北東の方角遠くにうっすらと見えている山が霧島連山だと教えてくれた。

 16:50頃に桜島の見え方が角度的に良くなったのでここぞとばかりに写真を撮る。いよいよ鹿児島の市街地が見えてきて、17:00にブリッジからの「入港30分前」という通達が放送された。遠くに桜島フェリーがかなり短い間隔で行き来しているのを見つつ、眼下の甲板で作業員の方が今度は係留ロープを陸に渡すための準備を始めていた。17:20には種子島行の貨物フェリーとすれ違い、いよいよ鹿児島港の「KAGOSHIMA」という文字が嵌めこまれた防波堤が近づいてきた。船は速度を落として岸壁に接近。あと少しで接岸というところで、甲板の作業員の方が、係留ロープの先についた細いロープのさらにその先にくっついているロケットのようなものを船の発射台に取り付け、陸に向けて放物線を描くように打ち込んだ。陸側の作業員の方が細いロープを拾ってたぐりよせ、係留ロープを係船柱(ボラード)に引っ掛けていた。17:32、鹿児島本港南埠頭着。

 下船するお客さんがもうタラップのところに列を作り始めていたので、急いで船室に戻って荷物を回収する。ついに鹿児島に帰ってきた。最後に昼食の弁当ガラを南埠頭旅客ターミナルのゴミ箱に捨てて、僕のフィールド科学研究入門は終了した。

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